パキパキ、関係する女•所有する男、れっつくりえいてぃぶ、女の体は誰のもの?、哲学的女
色々なことがパキパキと心苦しいので、ちょっと日記でも書こうと思う。
「心苦しい」というと、ツナ缶ちゃんは不幸せなのか、傷ついているのか、とみんなを心配させてしまうかも知れないけど、大丈夫、私はちゃんといつも幸せです。
とても幸せなんだけど、なんとなく胸に詰まる感じの何かがいつもあって、それについて考えることが私の幸せであり、生きる課題なんだ、たぶん、知らんけど。
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ここ最近読んだ本の中で面白かったのが、「関係する女、所有する男」というやつ。
女は関係性の中に快楽を見つけ、男は所有することに快楽を見つける。この男女差は、ジェンダー意識を形成する段階が違うことに起因するらしい。
男性は母親と同化している状態→母親は男性ではないことに気が付き、自分が母親にとっての男でありたいという願望→母親には既に父親という男がおり、父親になりたいという願望が、強い男を超え、ありとあらゆるものを所有したいという願望に変わっていく。→所有欲求にたどり着く。
一方、女性の場合、同化している母親と自分は男性ではないことに気が付き、力を持つ男性性に強い憧れを持つ。→しかし男性になることは不可能であるため、男性と関わることでそれを獲得しようとする→関係性の中に安心と快楽を見出す
もっというと、自分が男でない事を克服するために子供を欲するという、哲学的な見方もある
らしい。
この観点から見ると、関係性という、既にあるものからしか快楽を見出せない女は、真にクリエイティブになれないということかしら。
0から1を作り出す力は、やはり男性の方が優れていて、女はそれに劣る?
真にクリエイティブになるには、男になるしかないのか。
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女の身体というのは、他人との関係性を円滑にするためのツールになりやすく、本人の意思とは関係なく動かされてしまうことも多い。
パッケージは内側か外側か?
だから、女性作家の文学作品には、「体は入れ物」と表現するものが多いそうな。
他人からのイメージという、手垢がたくさんついた外側の自分を、「自分」と認識することは、女にとって難しい。少なくとも私には。
これが女の虚しさと無力感の正体。
自分は入れ物に閉じ込められていてなす術がない、みたいな意識に繋がる。
私は私だけの物なのになぁ。
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そして、哲学の分野でいうと、女とは何かが解明されていないらしい。
これは女性の哲学者が極めて少ないから。
哲学は、象徴を表すために的確な言葉を選びはめ込んでいく作業のようなもの。
関係性に重きを置く女性は、コミュニケーションに言葉を使うが、哲学に言葉を使わない、らしい。
一方、男は独り言をいう生き物だと。
自分ってなんだ?って疑問を解明するために哲学に触れるのに、ますます意味がわからんくなってくる。
私が読んだ本によると、哲学において男性は「ファルスを持つ者」と定義づけされているらしい。(ファルスとは絶対的な男性性。権力。象徴としてあるのが父親の性器)
これを踏まえて、私なりに女性を哲学的に定義づけると、「ファルスに憧れる者」といえるんではないかと。
絶対に手に入らないモノに憧れ、男との関係性の維持という終わりない探求を続け、決してファルスを手に入れられない、欲深い、哀れな生き物。渇望。
でも女もファルスを手に入れる手段はある。思い付いた。でもナイショ。
嫌な女になりたくないの、わたち。
あーあ、お腹すいた
ウーバーイーツでパンケーキたべよ。