女の身体はだれのもの。

tiktokerになって、「女性」として本当に生きづらくなった。

これは当たり前だし、仕方ないことなんだろう。

 

私は昔からスタイルがいいといわれる事が多くて、モデル事務所にいた時は「うちの事務所で水着を着て1番映えるのはツナ缶だな」と社長に言われたのが嬉しかった。

理由としては、くびれの1番へこんでいるラインが、他の女性よりしっかりしていて、腰の位置が高く見えるからだった。

手も長い方だし、自分の体つきが好きだった。

 

そして、こんなこというと気持ち悪がられるかも知れないけど、海外の女の人の水着や裸が好きだった。理由はかっこいいから。

 

胸は大きく、腰がくびれていて、最高にセクシーで生命力に満ち溢れていた。

ビクトリアズシークレットのモデル、プレイボーイのプレイガール達が特に好きで(プレイボーイは古本屋で購入し、今も家にある)ずっと見ていた。こうなりたいという憧れが常にあった。

 

私の中で今のスタイルは最高値だと思う。手足はこれ以上長くならないし、痩せすぎると貧相になる。自分が満足いくスタイルを手に入れ、snsが伸びて思うことは「やりづらくなったなぁ」ということ。

 

まず、初対面の男性にいきなり馴れ馴れしくされたり、下ネタを言われたりすることが増えた。「嫌です」というとあんなtiktokやってるんだから仕方ないでしょと言われた。

同じ女性tiktokerさんからイヤミを言われることもあった。その人は水着投稿とかもしているのに、私とあなたは別よ?みたいなことも言われた。

私がtiktokをやっているのは、多くの人に私を知ってもらう為、自分の1番の長所であるスタイルを活かしたかっただけ。ファッション関係の案件や、仕事にも繋がっている。自分が色っぽい体つきをしていることも自慢に思っているし、私の長所だと思っている。

 

誤解されたくないのは、私の体つきを見て色気を感じるなと言ってる訳じゃない。

それは生理的なものだし、仕方ないと思う。

ただ、支配的、攻撃的な態度をとられるのが嫌というだけ。

私をセクシュアルに感じる存在だからということが、私の意思を捻じ曲げて傷つけていいことにはならないということ。

そのような被害を避けるために毎日ダボダボなスエットを着て、snsもやめて、ひっそり暮らすことも出来るけど、それってどうなんだろうとも思う。

 

この件以外にも女性の生きづらさについて思うことは沢山あるけど、やっぱりある程度はしかたないことなんだろう。

たぶん、同じくらい男の人にも大変なことがあるんだ。

チャイム

大人になるとなぜだろう

すごく楽しい時間というものが減る

夢中になって話す時間が減る

 

たまにすごく波長が合う人と

お酒を飲みながら夢中になって話をしていると

終電なんて忘れて

その内外が薄明るくなって

帰らなきゃね、となる

かえらなきゃね、

 

その言葉で、

小学生の頃、校庭で鳴っていた17時のチャイムを思い出す

薄暗くなってきた頃になる17時のチャイムで

夢中になっていた遊びから我にかえると

皆が口々にいう

家に帰らなきゃ、

 

私はいつも帰りたくなかった

当たり前だけど

明日またどうせ遊ぶのに

その時間の流れとお別れするのが

なんか寂しかった

 

お酒を飲む時間というのは

なんていうかそういうのにとても似ていると思う

 

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名前のない涙について、餃子味カップ麺おいしすぎ

 

皆さんも名前のない涙を流したことがあると思う

別に悲しくもなく、嬉しくもなく、流れ出る涙、あの感じ

フルーツをギュッと絞ったら果汁があふれでるのと似てる、あの感じ

今日、他人だと思っていた初対面の人に、そんな涙を見せてしまって

この世に、他人なんてものはいないんだと思い知った

こんなに辛いことは無いし

こんなに幸福なこともない

一瞬のつながりでも

深いものってのがあるんだと知った

「愛してる」って思いました

また会ったときは、遠い他人なのだけど、

 

川の水

父親がキャンプ好きで、よく川遊びに連れて行ってくれた。真夏なのに川の水はキンキンに冷たくて、無中になって遊んでいると体が芯まで冷えて震えが止まらなかった。

 

でも、父親が入れてくれた暖かいカップスープを飲んで、焚き火にあたると体温が復活して、またバシャバシャと川に飛び込むんだった

 

 

今の生活は何となく、川の水の中を思い出させる。

川の水にどっぷり浸かっているから、身体がキンキンに冷たい、だけど川の水が冷たいから、自分の体の内側にある焼けるような体温を感じることが出来る、じんじん。

 

陸に上がったら、自分の体温がどれだけ熱いものだったか、忘れてしまうんだろうな、私は。

 

だから、今がとても大切なんだと思う、かけがえないってやつか。

全てが完璧とは言わないし、上手くやれてるわけじゃないけど、生きてるって感じがしていいんじゃないかな。

別にだれに抱きとめられなくたってかまわねーぜ!

いつか陸に上がるその時まで。

ざわざわ、ハイタッチ

胸がざわざわする。不安がある。1度取り憑かれると胸の辺りがずっとこそばい。落ちつかない。身体中を掻き毟りたくなる。もどかしい。

 

堪らなくなったのでネット検索したら、胸がざわざわするのは不安障害の傾向がある人に現れるらしく、私はがっつりパニック障害なので、そーいうことなのかと思った

そして強い不安はどこからくるのか、それは身体の中にエネルギーが溜まっていて、それを行動により、発散できてないから不安になるということが書いてあって、たしかにぃとなった

 

私は今、身体の中にすごいエネルギーを溜めてるんだと思う

それを発散したくて、何かの形にしたくて、その形を求めて、毎日色々な文章に触れ、人との出会いを求めてるんだと思う

もっと力強く、美しく輝ける日が来ると思うと、不安も苦しみも、全てが愛おしい

不安ってこれからが楽しみってことかも。ねー。

 

 

久しぶりに心療内科パニック障害の発作を鎮める薬を貰いに行ってきたけど、

 

待合室は相変わらず人がぎゅうぎゅうで、普通そうに見える人、明らかに普通そうじゃない人、色々だったけど、まぁこんなワケわからんとこにポイと産み落とされて、自立して生きてね、ちゃんと仕事してね、恋をしてね、家族作ってね、夢を持とうね、法律守ってね、

 

でもいつ死ぬかわかんないよ?そもそも死ぬってどういうことか、誰も分からないよ、ってなんじゃそりゃ。

こんな訳分からん状況で、正常に生きられてる方が、とち狂ってるよねって、待合室の皆に心の中でハイタッチをした

薬は安かった

膿、あなたと出会う、グルメとエゴイズム

1人の人のたったひと言で、心にぼつっと出来た吹き出物の膿が、ごろりと取れることがある

 

別に対して仲良くなくても、会ったことがなくても、それは色々な垣根を越えて、私の体にきんと響き渡り、私を私という存在に戻してくれる(ような気がした)

 

たぶんこれを真の出会いと呼ぶ

それに対し、体の出会いなんてものはなんと脆弱か

 

 

家の近所にある、イタリアン小料理店はいつもとんでもなく素晴らしい

 

それを味わうには1秒たりともズレてはいけないんだ、と言わんばかりにベストなタイミングで刈り取られた食材達、未だ知らぬ美酒、私に数々の出会いをもたらしてくれるので、いつもついつい二日酔い

 

 

昨日ランチにいったらデザートに、と出してくれた、冴え渡るようなぶどうの甘さにはっとしてしまい、私が普段食べている雑多なものを、食べ物と呼んでいいのかと、ついつい考えてしまったものの、いやいやこれは食べ物と造り手に大変な失礼、グルメの入口はエゴイストになることでは無いかなと、うんうんうなる

 

なぐりがき

いつからこんなに頭でっかちになってしまったんだろう

 

大人になると色々なことがシンプルではなくなるので、自分1人の力では解決困難なことが増えるのに、色々と傷がついて臆病になっているから、小手先で何とかしようと頑張る

 

「何もしない」が正解なんじゃないかと思うけれど、何も無かったら無かったで楽しくないし、生きてる実感もなくなるから、とりあえず自分に都合が良い関係性、安心出来る、傷つかない、そんな未来を求めているが、人生そんなに甘くないし、私はそんなに単純ではないようだし、安定を築きたいのに根が幼いから上手くいかないし、イガイガしていて気持ちが悪い

 

上手な生き方ってやつを考えれば考えるほど、身のこなしがぎこちなくなり、陸上部に入部したての頃、先輩にランニングフォームを確認されるというので、緊張して両手両足が一緒に出てしまうあの感じに陥る

 

何でもかんでも器用にやろうとしてる自分が気持ち悪いし、それができないことがさらに気持ちが悪いし、自分に嘘をつける、事実をねじまげる器用さもなくて、こんな調子でこれから先、生きていけるか不安であるが、たぶんそういう星の名の元で生まれてきているから仕方がない

 

自分に合う人を求めてさまよっているのに、いざそういうコミュニティに出会うと居心地が良すぎて怖くなり逃げ出す、関係が深まると問題が出てくるので逃げる、猛ダッシュ、んで、他のコミュニティに属することを試みるが、そう簡単に自分と合うコミュニティなんてないのでなんか違うなー、となる

一体何を求めて他人と関係しているのか我ながらに分からん

 

もはや大学生の弟にまで「いや、こじらせすぎやろ」とつっこまれる始末。

 

痛々しく、頭が悪く、臆病すぎてどうしようもないなぁと思うが、これはもう1周まわって仕方がないし、本当に仕方が無いし、私だってなりたくてこうなってる訳じゃないけど、私はそういう人間だし、生きるって技術で、経年により上達するみたいだから、過ぎ去ったことは全て忘れるのだ、甘いドーナッツを食べれば何も気にならなくなる

 

ドーナッツを食べても忘れられない人、気になる人に会いに行けばいいだけの話だし、別に会いたい人なんか一生いなくてもリーリーと可愛く鈴虫がないて、窓から爽やかな風が吹く心地いい夜を体感できる心があれば、人生は豊かじゃないかぇ

 

あーあ、やっぱ成長しきった大人ってやつぁ、全然面白くねーわ、尊敬はできるけどね